■なぜ人々は見たものをまた見ても喜ぶのだろうか。
2023年初のミリオン(100万人)映画が出現しました。公開2週間で100万を突破した『THE FIRST SLAM DUNK』です。初連載開始から約30年経過した漫画原作の作品が第ブームとなること、しかも日本の作品であることを見ていると不思議な気分になります。 30代40代の男性は胸が熱くなり、その世代ではない人々は「ミーム」(ネットで広がった画像や動画)で見ていた場面を確認したはずです。
ところが、2023年グローバル単位で視野を広げてみると、他にも目立つ作品があります。
それはゲーム『The Last of Us』を脚色したHBO MAXの『The Last of Us』が圧倒的な評価を受け関心を集めていることです。韓国では欧米の動画配信サービスHBO MAXのロンチングが白紙化されたので、おそらくWAVVEのようなOTTプラットフォームを通じて配信されると思います。それにしても、人々はなぜ過去に見たものを今も楽しんでいるのでしょうか?

『THE FIRST SLAM DUNK』は30年以上前に人気作の仲間入りを果たし、1億部以上売れた作品なので、幅広いファン層を持っていることは自明です。
ゲーム『The Last of Us』も2千万枚以上販売されたゲームで、PS3/4で発売されたゲームの中では2019年時点で最も売れたゲームです。当然、数多くのファンが全世界に広がっています。
しかし、原作の人気だけでIP拡張作品がうまくいくという保証はありません。むしろ原作人気があるので酷評を受ける作品も少なくありません。例えば「スラムダンク」が連載された当時に作られたアニメがあります。それだけでなく、イ·ヨンドのファンタジー小説「ドラゴンラージャ」やゲーム「スタークラフト」の漫画版は、今でもチャルバン(笑いものの意)になっています。
逆に原作に従いませんでしたが、成功したケースもあります。 例えば『ハウルの動く城』、やティム·バートン版『バットマン』、また、原作者のスティーヴン·キングがとても嫌っていたスタンリー·キューブリック監督の『シャイニング』等です。
ゲーム原作はまだ少ないです。「アサシン·クリード」は総シリーズが2億枚以上売れた超人気作なのに酷評され、映画があることも知らない人が多いです。「WAR CRAFT」も好評を得られませんでしたが、興行は成功しました。
有名な作品を原作にしたからといって必ずしも興行に成功するわけではないように見えます。実は当然です。
原作があるということは、それだけファンを持っているということなので、期待値も高い(高過ぎる)という意味でもあります。
■原作を破壊して成功した作品

それでは原作を破壊しましたが、成功した作品から一度覗いてみなければならないようです。 前述の『ハウルの動く城』、『バットマン』、『シャイニング』のような作品は原作破壊と言っていいほど原作とは全く違う作品になりました。
ところで、なぜ成功したのでしょうか?
答えは監督にあります。
宮崎駿、ティム·バートン、スタンレー·キューブリック。すでに宮崎駿やスタンレー·キューブリックのように巨匠だったか、後日巨匠に仲間入りするティム·バートンのような人々が自分のスタイルに合わせて再解釈した作品を流麗に見せてくれたからです。
韓国の例としては、パク·チャヌクの「オールドボーイ」、ポン·ジュノの「スノーピアサー」があります。どちらも漫画が原作ですが、原作のアイデアを借用して監督が自分で作れる映画を作り出しました。
原作の立場から見れば「これがなぜ原作なの?」と思うかもしれませんが、良いアイデアと設定に当社するという側面で見れば、原作尊重であったりします。
原作のファンは残念がったとしても、それを超える説得力を持つ監督のオリジナリティがあれば大衆にアピールできる力を持つようになり、時代を超える名作の仲間入りを果たすことができます。特に小説「シャイニング」より映画「シャイニング」の方がはるかに多く言及されるという点を考えると、むしろ原作を破壊したために可能だった成功ではないかと思います。だからスティーブン·キングは嫌いだったのでしょう…。
『THE FIRST SLAM DUNK』の興行の成功を単純に考えると、カラーで動くキャラクターを見ること自体が与える感動があるのではないかということです思います。
『The
Last of Us』の方は原作がゲームですから「主人公」になってプレイします。これを映像にすると、その経験自体が消え、「鑑賞」する経験だけが残ります。
では、一体この二つの作品はどのように成功したのでしょうか。
『THE FIRST SLAM DUNK』と『The Last of Us』の共通点は、原作者(または原作者に近い人)が監督を務めたり、監督に準ずる役割で深く関わって作品を作ったということにあります。
まず『THE FIRST SLAM DUNK』の監督は井上雄彦です。 彼が総指揮しながら要求した水準を合わせたので「動く漫画」という評価を受ける作品が出てくることができました。また、HBO MAXの『The Last of Us』もクレイグ·メイジン、ジェフリー·ピアースと共にゲーム総括ディレクターだったニール·ドラックマンが監督を務めました。原作者、または原案をとてもよく知っている人が決定権者として一緒にしたから可能でした。もちろん原作者が参加したからといって完成度が高くなるわけではありません。井上雄彦の横には東映アニメーション、ニール·ドラッグマンの隣にはHBOというプロフェッショナルがついています。
もちろん、より重要なことは、単純に一緒に働いたというだけではなく、「どのように」働いたか=「協業」の過程です。
まず『THE FIRST SLAM DUNK』の場合は、モーションキャプチャーで取得したイメージをレンダリングし、ここに手を別にプログラミングして合わせて、その上にスケッチを乗せ、さらに「アニメーション」という感じがしないようトーンを調整し、後修正作業を経て最終形を作りました。この過程で最も重要なことは、漫画に対する尊重だけでなく、アニメーション制作者に対する尊重も強くあったと思われます。
実写シリーズの『The Last of Us』も同様です。 キャスティングからドラマに合わせた脚色、セット場はどのように飾り、特殊効果はどのようにするのか、どのような結果が出なければならないのか、すでにゲームという答案があるが、それにもかかわらずドラマでさらに浮き彫りにしなければならないことは何なのか…。 数多くの討論過程で最も重要なことは「ドラマを上手に作ること」であって、「ゲームのアイデンティティが蘇ること」ではないと思われます。
■ ウェブトゥーンのIP拡張に必要なこと
さて、この文の本題、ウェブトゥーンに関して、です。先ほど「監督が重要」という話をしました。ウェブトゥーンも現在、脚本家が主たる役割になる作品が増えてきました。もちろん、まだ映像の事例のように共同監督をすることは多くありません。「未生」のユン·テホ氏、脚本を書いた「梨泰院クラス」のクァンジン氏、「タイミング」もカン·プル氏が脚本を書きました。このような形で脚本を書いたり、作品のディテールを生かすための支援軍として乗り出すことを越え、共同監督や最初から監督を務める場合が来るかもしれません。その時はウェブトゥーン作家にも新しい力量が必要で、映画、ドラマなど他のフィールドでもそれに合う力量が必要でしょう。
ウェブトゥーン作家に必要なのは、「望むこと」を全て具現してしまうという決然とした意志ではないかもしれません。例えば『THE FIRST SLAM DUNK』も原作にそのまま従ってはいません。ただ、皆が息を殺して画面に没頭する場面を作りました。そのような場面を作ることが重要だということは、結局映画、ドラマ、ゲーム等、多様なIPに拡張される時、そのジャンルに対する理解と尊重が必要だということを意味します。当然「良い作品」を作るための力量が必要です。それが映画、ドラマのような多様なフィールドでヒット作品を作る能力と同義語になるでしょう。
特に一人で作るウェブトゥーンとは異なり、ドラマ、映画は非常に多くのスタッフと俳優が一緒に作る芸術分野です。この過程に対する理解なしに自分の意見だけを貫徹すれば作品は壊れやすいでしょう。もちろんそれより先陣であるウェブトゥーン作品の中で「そのような可能性」があるということを見せる必要もありますが、拡張されるそのジャンルもやはり歩調を合わせることができる尊重を示す必要があります。私たちが数多くのウェブトゥーン原作に失望した理由が「原作の核心を変えてしまった」ということを思い浮かべると、他のメディアが持つ核心的なことを守りながら「良い作品」に昇華させることがなぜ難しいのかを悟ることができます。結局、何でも「立場を変えて考えること」「相手の身になって思うこと」が必要なものです。
おそらくウェブトゥーンは今後も引き続きIP拡張の中心部で熱く沸騰するでしょう。上記2作品に匹敵する、あるいは超えるIP拡張が期待され、その時に、ある意味、対等な芸術分野としてウェブトゥーンはグローバルに輝くと思います。